大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成9年(あ)1033号 決定 1998年1月21日

本店所在地

名古屋市中川区松重町三丁目四八番地

有限会社ライトオート一

右代表者代表取締役

丸山猛

本籍

名古屋市中村区名駅三丁目九一七番地

住居

同 中区丸の内二丁目二番一九号 シティコーポ東照三〇二号

会社役員

丸山猛

昭和二九年一二月二一日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、平成九年九月一六日名古屋高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人内田龍の上告趣意は、事業誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 福田博 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一)

平成九年(あ)第一〇三三号

上告趣意書

被告人 有限会社ライトオート

被告人 丸山猛

右の者らに対する各法人税法違反被告事件についての、上告の趣意は左記のとおりである。

平成九年一二月一七日

弁護人 内田龍

最高裁判所第二小法廷 御中

第一 原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある(刑訴第四一一条三号)

一 本件についての事実認定の基礎が、関与税理士である高橋証人の供述と被告人の供述の信用性の判断にあり、更には高橋証人の供述調書中での証言と公判廷のいずれかが信用できるかにあることは、弁護人が一審以来一貫して主張しているところである。第一審判決は、畢竟前者は信用できるが後者は信用できないとしたにいうに尽き、これ以外には特段の事実は示されてはいない。せいぜい経験則に基づく推認により高橋証言は信用するに足りるとしたにすぎないが、その推測はあまりに一方的に過ぎるものである。

二 ところで本件において高橋証人と被告人の供述には共通する要素がある。すなわち両者の供述とも捜査段階と公判では異なっているという点である。より明確に表現するならば一八〇度違っているといっても過言ではない。

捜査段階での供述では、高橋は勘定科目の振り分けや、それが脱税行為にあたると捜査官から指摘された事項の「全て」について、被告人丸山から「指示」を受けたと供述し、一方被告人丸山は、これに呼応するように「指示をしました」という供述を行っている。

ところが、公判廷では、被告人丸山は、要旨、

<1> 高橋税理士は提出期限の直前に会社に来て仮決算を見せるだけで、細かな打合せを行ったことはない。ましてや指示を行ったことはない。

<2> ただ、高橋税理士の作成してきた仮決算書を見て、そんなに利益はないはずですよと言ったことはあり、高橋税理士はこれに応じて在庫を修正してきた。

<3> しかし在庫について、明らかに現実とは異なると感じていたので、高橋税理士に「大丈夫ですか」と尋ねたところ、「大丈夫です。後に修正します。」と言われ、専門家の言うことなので特に心配はしていなかった。

と供述し、捜査段階での供述とは全く異なる供述を行った。そして捜査段階とは異なる理由として、捜査官が被告人のいうことを聞き入れてはくれなかった、と供述した。ところで、当弁護人は被告人丸山が検察官からの呼び出しを受けた際、捜査官に話したことは事実と異なると聞き、高橋税理士とも面談して事実を確認し、これに基づいて上申書を作成し、これを携行させて取調べに赴かせた。しかし、にもかかわらず、検査官は、被告人丸山の供述によれば机を叩いて怒り、「このまま帰さないこともできる」と話したというのである。一方、同じく取り調べを受けた高橋税理士は全てについて被告人丸山の指示があった旨の調書の作成に協力してきている。

公判廷での供述と同一内容の上申書を持参した被告人丸山が、検察官の前では従前の取り調べと同様の供述を行ったことは極めて不自然なものと言わざるを得ない。なお、弁護人は第一審において、右上申書を証拠として申請したが、検察官の不同意により採用されなかった。検察官の面前で作成された供述調書が不同意でも採用され、弁護人が被告人より録取し作成した上申書が採用されないというのも極めて片面的取扱である。少なくとも原審は第三二八条により証拠採用を行うべきであった。

ともあれ、顕著に食い違いを見せている両名の供述を原裁判所はいとも容易に高橋は信じられるが被告人は信用できないとしたのであり、それはあたかも被告人に有罪の推定をもって判断したかのようである。何故に捜査段階での供述は信用でき、公判廷での供述は信用できないのであろうか。このような認定は被告人は公判廷では罪を逃れようとして嘘をつくと考えるのが当然であると言う予断によるもので、公平な裁判所の判断とは到底思えない。

三 右供述の信用性についての弁護人の論点

弁護人が、第一審、第二審を通じて、公判廷における被告人丸山、証人高橋の供述が信用できると主張したのは次の根拠による。

1 捜査段階での供述の矛盾

本件では、在庫のほか、売掛金、貸付金、売上、仕入等の各勘定科目について、不正な記入があり、これらは被告人丸山のほ脱の意図に基づく指示によって行われたと結果的に認定されている。

これに対し弁護人は、各勘定科目について、検査官自体が調整した結果に準拠し、不正に税額を減少させる不正記入と同時に、不必要に税額を増額させる記入が行われていることを具体的に指摘した。そしてこれについても検査官は被告人の指示があったと主張するものであるのかと指摘した。しかし、検察官からはこれに対する返答はなく、裁判所もこれに答えていない。この点を不問にしつつ、捜査段階での供述を信用できるというのであろうか。

高橋証人のこの点についての公判廷での供述は明快である。すなわち、

「事務員に対して不明なものは仮勘定に計上しておくように指示していました」

(公判調書三〇丁表)、

(弁護人・あなたが振り分けたのか、振り分ける以前に社長の指示があったのかどうか、どちらですか。)「私が」(振り分けたの。)「はい。現金の出入りと、預貯金の出入りを記入するときに、振り分けるというんですが。電算機にそういう形で入れておったものです。」(同三〇丁表)

と証言している。高橋証人の言うように、高橋証人が準備段階での決算書類を作成する際に、同人もしくは事務員が推測で振り分けたために、かえって税額が増加するような誤りを生じ、かつ、それらは被告人丸山と打ち合わせすらされないまま放置されたのである。

再度強調するが、一方で自己に不利益な仕分けがされている事実が明確でありながら、なおかつその指示は被告人丸山が行ったというような趣旨の供述結果の信用性があるはずがない。第一審、第二審があえて信用性を認定するのであれば、この部分を無視することはできない。控訴審裁判所は特段の考慮を行った形跡はないが、この点については、審理不尽のそしりを免れない。

2 供述に臨む供述者の心理と環境条件

供述の信用性の有無は、その供述内容自体に矛盾がないかの点も重要であるが(右1に指摘したところである。)、その供述がなされた際の供述者の心理と環境条件が供述者の真意を表現し得るものであったかを考慮する必要がある。

この見地から被告人丸山の供述を検討する。

<1> 国税庁の審査

このような段階での捜査が客観的に公平な状況に行われると考えることはそもそも期待できないというべきである。これはすなわち捜査に当るものが課税についての決定権を持っているのであるから、調べを受ける側は捜査官に逆らわないようにしようという心理が働く、できる限り税額は少なく認定してもらいたいからである。しかも原判決がいみじくも指摘しているように、刑事事件になるなどと思ってもいなかった被告人が早くわずらわしさから免れようと迎合的になったとしても止むを得ないことである。国税庁の捜査調書の内容は捜査官の意見であり、課税権をちらつかせてのものであり、信用性があるものと断定してかかるのは危険であり、少なくともこれと異なる供述が公判廷で行われたようなときには、より慎重にその事実は吟味されるべきである。

<2> 検査官の捜査

右の理由で弁護人は公平な裁判の実現のため検察官の調書の罪を抽象的に認める部分は不同意にしたが、それはそのまま検察官の調書に登場している。しかも弁護人の作成にかかる上申書があったにもかかわらずである。現在検察官の調書が検察官の意見にすぎないものであることは周知の事実である。何故に密室で行われた取り調べの際の調書に先の「特別な事情」があると言えるのであろうか。被告人は公判廷で取り調べに当たった検察官が机をたたいて怒り「身柄を拘束することもできる」と述べたと訴えた。担当の検察官を呼んでも真実は明らかにはならないであろうが、大切なことはかような言葉が用いられたとしても誰も明らかにはし得ない状況にあったことである。裁判所は検察官調書を考慮する際、少なくとも公平を疑わしめるに足りる状況にあったことを理解すべきである。そうでなければ裁判所が検察官の意のままに扱われていると言われても止むを得ない。

四 本件における被告人丸山供述の信用性

1 高橋の供述の信用性の低いことについて

原判決は、高橋証人は税理士なのであるからその資格を喪失するような行為を安易に行うはずはないと認定した。それではもし弁護人が主張するように杜撰な会計処理を高橋証人が行っていたとしたら、果たして彼は自らの税理士資格を喪失するような供述を行うであろうか。人の常として自らに有利に事実を構築するのではないだろうか(高橋証人は、調書上からも明らかなとおり、国税段階での取り調べでは被疑者であった。)。

ところで、原審の記録に現われた高橋証人の調書では、ことごとく社長(丸山被告人)に指示されました、との供述となっている。そしてこれをもとに検察官は被告人丸山に脱税の故意があったことを立証しようとしたのである。しかしながら弁護人は公判廷において高橋証人を尋問し、明らかに調書での供述とはことなる証言を得ている。例えば売上や仕入について、被告人の指示によるものではなく自ら適当に振り分けたと明確に証言している。また在庫についても何らかの作業を行う事なく前年度の数値を記入して、後は税額から割り出した在庫額を算出したにすぎないのである。

原審でも述べたとおり、確かに被告人が高橋の言に従い安易に在庫額が低額であることを知りながら申告を行ったことの責任は大きい。しかし、これを脱税の故意と言い得るかどうかは別問題である。原審でも認定されているように、被告人は高橋税理士に対して「大丈夫ですか」と尋ねている。これはあまりに安易に決算を作成してくる高橋に対し不安を覚えたからである。これに対し、高橋証人は、そのようなことは刑事事件にもなりうるという事実を何ら告知していない。むしろいずれ調整しますからと述べただけである。思うに高橋証人は後に税務署の調査があればその指摘に応じて修正すればいいと極めて杜撰に考えていたに相違ない。到底責任のある税理士が行うこととは考えられない。この点を原判決は全く看過しているのである。

2 丸山被告人の供述の信用性について

既に原審において弁護人が縷々述べたとおり、本件は脱税事件としては極めて異色である。第1に脱税したとする勘定項目が一つを除いてすべて記帳されている点である。つまり何も隠そうとしていないことである。このような間抜けな脱税事犯はありえない。第2に勘定科目の仕訳の間違いによりかえって税額が増加しているものがあるということである。原審で採用された調書では各仕訳の細かな指示も「すべて」被告人が行ったと記載されている。それでは逆のものについては被告人が指示したのかどうかについて原判決は曖昧な判断しか示さず、矛盾は無いと判断しているのである。かような検察官よりも検察官らしい偏向した判断が事実の誤認を招いたのである。どうすれば「脱税の故意の元に指示をしました」という調書が信用できるというのであろうか。

丸山被告人の過失はただひとつ、税理士である高橋証人に任せておけば違法なこととはならないと信じた点である。

第二 量刑不当(刑訴第四一一条二号)

原審において、裁判所は、個別認識説には立脚しないことを明らかにしているが、個別認識説、包括認識説の当否はともかく、少なくとも量刑に当っては犯罪にかかる金額、すなわち脱税額がいくらであったのか、ほ脱率がどの程度であったのかは重大な要素であり、かつ第一審、第二審の判決理由中でも取り上げられている。

しかし、本件においては、第一に、在庫以外の科目については、被告人丸山のほ脱の意思は立証でかなかったものと言わざるを得ない、繰り返しになるが、それを認定するのであれば、被告人に不利に働く振り分けの指示の合理的理由が示さなければならないからである。そうであればその部分にかかる金額分については当然に量刑の資料からは除外されなければならない。このような配慮もなく、安易に起訴状記載の金額をもとにした量刑は不当なものと言わざるを得ない。

第二に、在庫の点についても、仮に極めて希薄ながらも故意の認定ができるとしても、その故意の程度すなわち犯罪の意図、計画性は著しく程度の低いものである。本件は全く杜撰な高橋税理士の会計処理が大きな原因となっており、高橋税理士は、脱税行為に当ることの違法性を指摘するどころか大丈夫であるかのような言辞を被告人丸山に発してるのである。無批判にこれを信じた被告人丸山の心情は反省すべきものであるが、これをもって原審が認定するような狡猾な脱税行為というのはいかにも不当である。従って、その犯状を正確に認識しないまま行われた原審の量刑は不当なものと言わざるを得ない。

以上

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